マチフル -machifull-

新潟や日本や東南アジアの街ネタブログ。見たり聞いたり読んだり買ったりの感想メモも。目指すは陸マイラー。

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【father~カンボジアへ幸せを届けた ゴッちゃん神父の物語】救いの原点は長岡に

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始まりは長岡の花火から。
多くの人でにぎわう長岡花火を特別な思いで見上げる後藤さん。
長岡とカンボジアは、時を越えた戦争体験でつながっていました。

映画『father~カンボジアへ幸せを届けた ゴッちゃん神父の物語』は、長岡市出身のカトリック教会神父「ゴッちゃん」こと後藤文雄さんが、カンボジア難民14人の里親になり、さらにはカンボジアに19もの学校を建てた生涯を追いかけたドキュメンタリー作品です。

◇ ◇ ◇

1945年8月1日、長岡市中心部を焼き尽くした長岡空襲で、後藤さんは母と妹弟を亡くします。
柿川で亡くなっていく家族をみとり、それまで国のために戦争で死んで神になると本気で信じていた皇国少年だった後藤さんは「ここから70年にわたる巡礼のような人生」が始まったと言います。

実家は浄土真宗のお寺ですが、後藤さんはカトリック教会の神父になる道を選びました。
歌って、踊って、酒を飲む。そして(カトリックの神父さんなので独身ですが)女好き。
そんな人間味あふれる日常も映し出されます。

◇ ◇ ◇

東京吉祥寺にある後藤さんの教会に、カンボジア難民の里親になってほしいと支援者から依頼が来たのは1981年のこと。
信者にお願いしましたが全然反応がありません。
その時支援者から「この教会、部屋がたくさんありますね」と言われ、最初はムッと来たと後藤さん。
でも信者にお願いしようとした自分も、この支援者と一緒だったと、その時気づいたそうです。
なりゆきで始めた里親でしたが、その後もカンボジア難民を引き受け続けました。

ポル・ポト政権の大量虐殺と内戦を経験して日本に来たカンボジア難民たちは、心に傷を負っていました。
長岡の柿川で壮絶な戦争体験をした後藤さんは彼らの境遇に共感します。
そして、教育が大事だと思い至ります。
文化人が虐殺され学校が破壊された当時のカンボジアと、学校教育が皇国少年を生み戦争へと邁進した戦前の日本が重なって見えたのでしょう。

こうして里子の一人とカンボジアに小学校の建設を始めたのが20年前のこと。
今までにカンボジア国内に19もの学校を建設したのだそうです。

 

よし!学校をつくろう――神父ゴッちゃんの履歴書

よし!学校をつくろう――神父ゴッちゃんの履歴書

 

 

◇ ◇ ◇

映画では後藤さんがカンボジアの学校へ行く様子が描かれています。
ものすごい悪路を行った先に、後藤さんの名前がつけられた小学校がありました。
生徒たちとの交流に目を細める後藤さん。
でも「この旅が最後になるかも」と後藤さんは言います。

後藤さんは現在88歳。
杖をついて歩く暮らしの中で、難民支援や学校建設を今後どうやって継続していくか、悩んでいるようでした。
たしかに後藤さんはすごい。
でも個人のすごさに頼るだけでない仕組みが何か必要なのかもしれない…。
それが何なのか、名案が浮かぶこともなく、映画を観てて歯がゆい気持ちになってしまいました。