マチフル -machifull-

新潟や日本や東南アジアの街ネタブログ。見たり聞いたり読んだり買ったりの感想メモも。目指すは陸マイラー。

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【FM PORTついに閉局】「災害県」に寄り添い、地元コンテンツを育てた20年

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7月1日、営業車に乗ってラジオをつけたらいつものFM79.0が砂嵐で、一瞬あれ?と思ってしまいました。
前日夜の閉局特番と深夜24時の最後のクロージングもしっかり聴いていたのにね。
これが習慣というやつでしょうか。

新潟の民放ラジオ第3局「FM PORT」が6月30日深夜24時、20年弱の歴史に幕を下ろし、閉局停波しました。
閉局ラストは、開局当初からこのラジオ局に出演していた女性ナビゲーター、遠藤麻理さんと松本愛さんの進行で、歴代のナビゲーターがスタジオや電話、録音コメントで次々登場、笑いあり下ネタあり酔っぱらいありの4時間の特番を放送しました。
最後は進行のお二人による「私たちは47歳です」「違います!」「嘘でしょ?」のやり取りで、生放送を終了しました。
お二人は僕と同い年だったんですね。
https://www.instagram.com/p/CCI8wAPHOGL/
今朝には早くも「FM PORT 79.0」のサインが取り外されていました。本当に閉局しちゃったんだなぁ。#fmport #niigata #radio
◇ ◇ ◇

FM PORTが開局した約20年前は、僕はまだ20代で新婚の頃でした。
開局当日は冬なのに晴天で、上越市から妙高へ仕事で向かう車中で、開局の瞬間と最初の番組『タイムトラベル』を聴いていました。
当時住んでいた上越市では外回りの営業をしていたので、昼も夜もよく聴いていました。
まだ若くて新婚だった時代と、新しいラジオ局ができるわくわく感とがシンクロしてきます。

今では僕も40代後半。
上越時代に生まれた長男はもう18歳になったのだから、それだけ年月が過ぎたわけです。
僕の人生も下り坂に差し掛かったのかも…と感じはじめたタイミングで、開局当初から聴いていたラジオ局が閉局してしまうのは複雑としかいいようがないです。

いま思えば、20年前はまだサッカーのアルビレックス新潟はJ2でした。
まだバスケットボールのBJリーグもなく、Negiccoもまだデビューしていませんでした。
この20年でこれら地元コンテンツが次々誕生し、その中心にFM PORTがあった気がします。

この20年間の新潟県は、中越地震や中越沖地震など多くの災害も起こりました。
FM PORTは100%地元編成だったので、災害時には特別編成を組んで、被災者が必要とする情報や心を穏やかにしてくれる音楽などを放送し続けました。
その後も水害や東日本大震災などの災害が次々起こり、さらに今は新型ウィルスの影響と不安感に襲われています。
今こそ聴いている人に寄り添い、変わらぬ日常を伝えるラジオが必要な時代と思うのですが…。

◇ ◇ ◇

地元のラジオの必要性が高まる一方で、民間放送なのでコマーシャルが入らないと続けていけません。
FM PORT閉局の理由はスポンサー難による経営不振でした。
声だけのラジオが企業のイメージを伝え、聴く人を動かすのは本当に大変なこと。
全国ネットではなく独立局だから、全国スポンサーを獲得するのも困難だったと思われます。

他のラジオ2局はイベントなどをやって、どっとリスナーが来てくれるのを営業のメーンにしています。
FM PORTはそういう取り組みもあまりやっていなかったように見えました。
でもこの新型ウィルス下では、イベントにどっと人が来るというのは、今後は望めなくなりそうです。

ネットメディアの世界では広告のみに依存するのではなく、サブスクなど別の方法でマネタイズする方向へシフトしつつあります。
ラジオも大口のスポンサーではなく、少額でも多くのリスナーが支援して支える形は可能なものでしょうか。
米国では地域からの寄付金で運営されるラジオ局もあると聞きます。
仮に200万人県民のうち10万人が、1カ月いくらを支援すればラジオ局が成り立つのか…?
これからはそのような考え方も必要なのかもしれません。

◇ ◇ ◇

Twitterでは「FM PORTロス」を訴える書き込みが続いています。
ラスト特番の勢いを聴いてると、もしかしたらすぐに復活するのでは?くらいに思ってしまったけど、実際には無理でしょう。
残るラジオ2局にFM PORTロスを救ってほしいところですが…。